新型犬型相撲日録

元木村山の前髪

ホーベルソンさんのこと

把瑠都ことカイド・ホーベルソンさんの引退について、今さらなのだが少し考えたい。

その引退は非常に唐突なものに感じられた。

まだやれるのに、という見る側の思いも当然あった。
加えて、大関まで上り詰めた人が現役引退と同時に、年寄にもならず角界を去った。
(昔風にいえば「廃業」となるだろうか)
そのことも唐突に感じられた理由のひとつだったろう。

手元にある名鑑をパラパラめくってみたが、
同様のケースは昭和以降、ホーベルソンさんを含めても3人しかいない。
(あとの2人は昭和17年引退の五ツ嶋、40年引退の若羽黒)
残りの大関経験者はみな、引退後親方として相撲界に残っている。

もちろんKONISHIKIさんのように、のちのち退職する人はいた。
だがこの人にしたって、しばらくは高砂部屋つきの年寄佐ノ山として、後進の面倒を見ていた。
将来の独立を目指してはいたが、金銭の都合がつかず、泣く泣く協会を去った。

しかしホーベルソンさんに関しては、年寄株うんぬんという噂すらトンとなかった。
引退後角界に残る気持ちは、はなから無かったのだろう。

相撲好きの日本人である私としては、現役で大関まで務めた、となれば、
当然現役を退いたあとは若い人を指導するのが筋のように感じる。
たとえそれが馬力まかせの強引な相撲であったにしても。
しかしホーベルソンさんはそうしなかった。

私の感覚は日本人ならではの物かも知れない。
どこかで大相撲に対し「相撲道」を期待するのだろう。
高い業績を現役時代に残した者が、こんどは師となってその道を弟子へ伝授する。
かくして相撲道は綿々と受け継がれていく…そんなイメージ。

ホーベルソンさんに、そうした感覚はあまり無かったように見える。
道を究め、伝えるといったこと以上に、
大相撲というのはこの人にとって生活の糧であり、
木戸銭とってナンボのプロスポーツだったのではなかろうか。

2年前の平成23年、八百長騒動のあおりで文科省に通常の興行を認められず、
やむなく無料公開となった5月の技量審査場所。
このときホーベルソンさんが
「お客はみんなタダ」「遊びの場所みたい」と発言し、波紋を呼んだことがあった。

結果的に当人が理事長に謝罪する形で落着したが、
プロフェッショナルとしては、ごく正直な気持ちだったのだろう。
金も払わない連中のまえで戦うなんて、馬鹿らしく思えたのではないか。

(ま、私だって自分の生業をボランティアでやれと言われたらやってられないけどね)

3年前、平成22年の10月には全日本力士選士権を制したことがあった。
大関だったホーベルソンさんは記者から
「次の横綱は自分という気持ち?」と問われ、
「日本人横綱が出てこないとね」と答えている。

これもやはりプロフェッショナルとしての感覚だったろう。
白鵬が双葉山の連勝記録に挑んでいた時期だった。
おなじ外国出身の先輩の活躍を横目でみながら、
「外国からきた自分が白鵬と東西の頂点に並んだところで、お客はよろこぶまい…」
多分にそんな思いがあったのだろう。

私はホーベルソンさんの生き方を否定するわけではない。
日本人の力士だって、道を究める以上に生活の糧として相撲を取らえている人が大半だろう。
それでも彼らはホンネとタテマエをわきまえている。
ホーベルソンさんにそうした気配はちっとも感じられなかった。
それがまた魅力でもあったのだけど。

ただ何と言うか、ケタ違いの力量で土俵を席巻した人が、かくもあっさりと角界を去ってしまう。
そこになんとも寂しさが残る。
強者が次世代の強者を育て、連綿と続いていく大相撲の系譜…
そんなイメージは徐々に変質してしまいそうだ。

外国出身の横綱や大関が増えるほど、こうしたケースが多くなるのだろうか。